「はじめに」
 「日本一」になることは容易ではない。どの世界での共通のことだと思うが、中学で年に1回しかない全国大会で優勝することは並大抵のことではない。この夏、男子中学生ソフトテニスで最高の栄冠に輝いた、東京都の日野第二中学校。それを率いた、顧問の野口先生。日野二中は、文面にも出てくるが、女子も全国のトップに位置する。女子は今年は残念ながら、予想外の関東大会で敗れることになったが、さまざまな広域大会でトップを争い、全国ベスト4以上になってもおかしくない実績を持っていた。
 日野二中は、ジュニア全盛の中学生ソフトテニス界においては、ジュニアでない選手の集まりとしては、抜きんでていて、実績から見ると異端ともいえる。二年生の秋、新チームになってみると、すでにジュニアのチームと同等かそれ以上になっている。よく他の顧問の先生から「なんであんなに早く仕上がるのだろう」という声が聞かれる。
 ジュニアで無い選手が活躍する事がどんなに大変かは、全国をのぞき見ている顧問の方々には痛切に感じていることと思う。それを毎年のように、やってのける(それも男女)野口先生はいったいどんな指導をしているのか。
 今回、野口先生に無理を言ってお願いし、基本姿勢や、考え方、手記、そして多方面から要望の高かった、練習メニューなどなどを寄稿していただいた。その量と内容を拝見すると、忙しい中、本当にありがたさばかりだが、それをまた、オープンにしてださることに感謝を表するとともに、全国の顧問、指導者、部長、選手の方々にご活用いただきたい。
 
      「0からの出発」     
                   日野第二中学校ソフトテニス部
                         顧問  野口英一
 日野二中に転勤して11年が経とうとしている。当時、ソフトテニス部はなく、生活指導困難校として、名を馳せていた。中体連の役員をしていたこともあり部を発足。しかし、コートはなく、公園の広場と野球場で練習を開始した。その後、公園でラケットを振り回し危ない、と市民から苦情があり、公園内のコートを土日を除き、2面使用できるようになった。
 1年目でソフトテニスの楽しさを、2年目で試合のやり方を、3年目で試合に勝つことを教えたいと考えていた。ところが2年目の都新人戦において、女子が個人優勝、団体準優勝、男子が団体4位の成績をおさめたことで、待望のテニスコートが造られることになった。それも砂入り人工芝2面とバスケット部と共用のクレーコート1面である。しかし、簡単に勝ちすぎた女子はその後、保護者の進学に対する不安などから目標を見いだせず生彩をかき、失速。そのかわり男子2ペアが関東大会初出場の切符を手にすることができ、その後9年連続関東大会に出場、全国大会に6回(5年連続)出場している。
 4年目の男子団体、実力的には東京の16本ぐらいだったと思う。キャプテンを大会直前に前衛から後衛に抜てき(チームを引っ張り続けた彼を試合に出場させるため)、3番手に起用した。彼が負けたらあきらめがつくという背水の陣である。予想に反して準決勝まで進出したが、敗戦。団体関東初出場をかけての3位決定戦を目前にして、一緒に頑張ってきた3年生が、突然倒れ意識不明になってしまった。心臓に不安を抱えながらソフトテニスを続けてきた選手であったため、私も救急車で一緒に病院に駆けつけた。当然残った選手は監督無しで試合にのぞむことに。一時間後、病院で彼の容体も落ち着き、コートに電話をかけたところ、1対1の3番勝負に入るところだった。医師がコートに戻ることを進めて下さり、急いでタクシー会社に電話をした。が、車が出はらって30分はかかるとのこと。これでは試合に間に合わない。走るしかない。コートまで20分必死で走った。コートにたどりついたとき、ゲームカウント2オールの2オールという大事な場面。選手達に「大丈夫だ」と声をかけるのが精一杯だった。ジュースを繰り返したあと、そのゲームを取り3対2とリード。チェンジサイズに、彼の容体も落ち着き、元気になったことをつげ、安心して自分のテニスをするように指示した。何度もマッチポイントがくるが、一本を取りきれない。5回目のマッチポイントを前衛にアタック。それが相手前衛のラケットをかすめコートに突き刺さった。勝った。選手、30人を越える応援団、全員の目から涙がこぼれ落ちた。表彰式後、選手達と病院に駆けつけ、彼の胸にもらったばかりのメダルをかけたときの気持ちは今でも忘れられない。力がなくとも、あきらめずに努力を続けること、そしてソフトテニス部全員の心が一つになったとき、実力以上のちからが生まれることを実感することができた。   この出来事がソフトテニス部に与えた影響は計り知れない。そして「心が技術をこえる。」という言葉が部の座右の銘になった。このドラマを見ていた2年生男子は関東大会個人3位、全国大会初出場、又1年生女子は、全国都道府県対抗優勝、関東団体3位、個人準優勝をとげる。現在、女子団体は都大会、5年間で4回優勝。男子団体も優勝と準優勝が2回。ジュニア組織がない地域の子供達だが、良くがんばっている。そして、今年の夏、全国団体優勝で引退した3年生男子が、全国から帰った翌日から練習を開始した。中学で成し得た日本一を高校でも達成しようと、新たな目標に向かって出発した。
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@ソフトテニスの好きな生徒をいかに育てるか・・・・・・中学に入学する段階で2〜3年のキャリアの差はかなり大きいと思います。中学で指導できる時間は全国大会まで勝ち進んだとしても、2年と4カ月。・・・
A全国への道(勝つセオリー)
・・・・・三年生になると中学生としてのテニスもあと4カ月、最後のまとめをする時期になる。この段階では「日本一」を目指している学校の力はほとんど変わらなくなる・・
Bソフトテニス語録
ぬ・・・盗むも技術  あ・・・あきらめが命取り  ね・・・ネットは命取り・・
C練習内容(日頃の練習メニュー図入り)
試合は必ずサーブ・レシーブから始まります。そのためまずサーブレシーブの練習から入り、毎日続けることが大切です。(練習メニューがたくさん載っています)